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21_21 DESIGN SIGHT 企画展「Material, or 」 

21_21 DESIGN SIGHTの企画展として、TAKT PROJECT代表の吉泉が展覧会ディレクターを務めた「Material, or 」が開催された。

21_21 DESIGN SIGHTは、デザインを通じてさまざまなできごとやものごとについて考え、世界に向けて発信し、提案を行う場であり、故・三宅一生氏により創立され、佐藤 卓氏、深澤直人氏がディレクター、川上典李子氏がアソシエイトディレクターをつとめるデザインのためのリサーチセンターである。

今回の企画展「Material, or 」は、私たちとマテリアルのつながりを、地球をめぐる果てしなく広大な物語から読み解き、再発見を試みる展覧会。企画協力として芸術人類学者の石倉敏明氏、バイオミメティクスデザイナーの亀井 潤氏に呼びかけ、これまでに人間が営んできた自然との多様な関わり方をアートやデザイン、人類学の観点から紐解くと同時に、最先端のマテリアルサイエンスが我々の感覚をどのようにアップデートしてくれるのかも紹介していった。グラフィックデザインは三澤 遥氏、会場構成は中村竜治氏に参加いただいた。


Director's Message 

小枝を手にすれば「パキッ」っと、折ってみたくなる。
どろどろの泥を手にすれば「ベター」っと、何かに塗ってみたくなる。
大きな石ころを手にすれば、何かにぶつけてみたくなる。そして「パカッ」っと、割れる。

そんなマテリアルとの原初的な関わりは、人とマテリアルとの対話のようです。人間はそうして地球資源との対話を積み重ね、マテリアルから人工物としての何かをつくり出してきました。マテリアルを軸にデザインという行為を捉えた時、その対話そのものがデザインだったといえるかもしれません。

それは、特定の意味を持たなかったマテリアルが、人との関わりの中で、なんらかの意味をもった創造のための「素材」となり、人工物が生まれていくという事です。その意味の生み方こそが、デザインの可能性、叡智でもある──。そして、その意味のあり方は無限なのです。
それは一方で、私にとっての素材は誰かにとっての素材ではない場合があり、同様に、誰かにとっての素材は、私にとっての素材ではない可能性を含んでいます。

ところで、その「私」と「誰か」とは何でしょうか?

さまざまな次元での環境破壊、地球資源の問題が指摘されています。
人間が自然を管理出来るという20世紀的な発想は、地球環境との対話をやめ、自身の都合だけで、マテリアルに一方的に意味を「与える」態度だったと言えるかもしれません。また、一部の人だけがつくり手となる事で、多くの人がマテリアルに触れる事が減り、文字通りその対話をやめてしまったようです。そこでは、「私」以外の他の「誰か」への眼差しがこぼれ落ちていきます。それらがもたらしたのは、私を超えたさまざまな存在を感じる、知覚の低下だったように思います。

しかし、「私」と「誰か」の境界はそもそも曖昧です。むしろ、「私」は単独で存在するのではなく、さまざまな要素と常に絡まり合うように存在し、変化し続けている──。そのように考えて行くべきではないでしょうか。すると、その「私」と「誰か」という定義、そしてその境界は随分と曖昧になり、変わっていきます。と同時に、マテリアルへの眼差し、つまりそこで発生する意味も、自ずと変わってくるはずです。

この展覧会では、マテリアルに「素材」という意味が生まれる方法の多様性を入り口に、人間以外の多様なものとの絡まり合いの中でのマテリアルの捉え方、そしてそのデザインの可能性について考えます。


<参加作家>       
ARKO、青田真也、ACTANT FOREST、イ・カンホ、上田勇児、遠藤 薫、太田 翔、小野 栞、 金崎将司、亀井 潤(Amphico)、ゾフィア・コラー、TAKT PROJECT、 DRIFT、永沢碧衣、似里 力、畑中正人、ピート・オックスフォード、Formafantasma、BRANCH、本多沙映、三澤 遥+三澤デザイン研究室、𠮷田勝信
<参加企業>      
Cruz Foam、三菱ケミカル株式会社、村山耕二+UNOU JUKU by AGC株式会社

(敬称略)